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倫理委員会ニュース(6)

公衆衛生の倫理について

石原 陽子(久留米大學医学部公衆衛生学講座) 第43巻、第2号、N26 , 2008.

 最近、住民の健康は医療の進歩だけではなく公衆衛生的な介入や社会経済的格差と関われがあることが指摘され、加えてエイズ、SARS、鳥インフルエンザ、バイオテロなどの個人の自立的な意思尊重を侵害せざるを得ない問題が続発したために、「公衆衛生の倫理学」の確立の必要性が認識されつつある。医学領域では、遺伝子治療や臓器移植などを扱う生命医療倫理教育は進んでいるが、公衆衛生領域の倫理教育は立ち遅れているのが現状である。

 戦後の日本の公衆衛生は、憲法第25条1項「全ての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と2項「国は、全ての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」という条項を基盤として発展したため、他の医学分野に比べてより憲法との係り合いが深い。臨床医学が、患者のcare及びcureに重点を置き、主に治療的介入を行うのに対し、公衆衛生は住民全体の疾病予防や健康保持増進が目的であり、環境、個人的行動や生活習慣などへのさまざまな介入形態がとられる。ウィードは、公衆衛生倫理の問題として、1)公衆衛生と医療の関係、2)「健康康とは単に疾病が無いとか、虚弱で無いだけではなく、身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態である」(世界保健機関(WHO)憲章)という公衆衛生的健康の定義と医療での健康の定義の違い、3)公衆衛生的介入での自立とパターナリズムの関係、法規制によるリーガルモラリズムの妥当性、4)公衆衛生専門家がプロフェッショナルとしての立場からの主張、つまりアドボカシーの義務をもつかどうかという点を挙げている。

 大気環境の健康影響についても、どの程度の科学的エビデンスをもって規制など介入が可能なのか、研究者が客観性・中立性を持ってどの程度公衆衛生的介入の必要性を主張出来るか、どのように個人の自立と国民の利益となる共通善のバランスをとるのか、倫理的視点から考えざるをえない問題が多い。加えて、最近の医療費高騰や国民間での経済的格差の拡大は、憲法条文の「健康で文化的な最低限度の生活」の確保を脅かし、大気汚染、温暖化、オゾン層消失などの自然破壊が、それを助長しているように見える。日本国憲法やWHO憲章の求める「健康で文化的な最低限度の生活」や高水準の健康とはどの程度のものなのか不明瞭であるが、その確保には公衆衛生の倫理的考えが必要不可欠に思える。グローバル化や多様性が進む社会では、公衆衛生倫理学の確立は重要課題の一つといえよう。

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