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倫理委員会ニュース(10)

―あおぞらー

マイケル・ファラデーの意外な側面

古 谷 圭 一 (倫理委員長・名誉会員)

 電磁気学の創始者、マイケル・ファラデーには意外な一面があるのをご存知だろうか。
 最近、マイケル・ファラデーの伝記が出版された。そのタイトルは、「マイケル・ファラデーの生涯 電気事始め」で、イギリスの美術史家、J. ハミルトン著、佐波正一訳、教文館から本年4月に出版された本である。

 電磁気学であるから、当然、物理学が専攻であるかと思っていたら、実は、彼は、アルミニウムで有名なハンフレー・デイヴィー卿の実験助手を務めていた化学者であった。そういえば、電気分解のファラデー当量の決定は、化学の領域に入る。いや、この伝記を読み進めていくと、彼は、それよりも、もっと意外な研究を行っている。ディヴー卿とともに、鉱山の安全灯を発明している。その動機は、当時、石炭採掘坑で頻発していた爆発災害事故防止のために、彼らは爆発性ガスの組成を調査していた。すでに、それ以前に、地中から噴出するガスの組成調査を行っていたので、炭鉱災害予防委員会の要請で、メタンガス爆発の物理化学的実験を行って、濃度と着火温度との関連性を明らかにして、安全灯を開発している。言い換えると、彼らは、坑内大気の環境分析をやっていたのである。この場合、発明者はデイヴィー卿になっているが、貴族の使用人である貧しい出のファラデーがその実験を担当していたことは間違いなく、デイヴィー自身が報告書にファラデーに対して謝辞を述べている。

 ここまで書けば、私がマイケル・ファラデーをここで取り上げる理由はお分かりいただけるだろう。マイケル・ファラデーは、19世紀初頭の環境科学の先駆者なのである。彼が独立して王立研究所の研究を始めてからの1855年のパンチ紙には、鼻をつまんだシルクハットのファラデーが、動物の死体が浮かんでいるテームズ川の川の神にレッドカードをかざしているマンガが描かれている。まさに河川水の分析を行って、当時普及が始まった水洗式トイレからの放流がその原因であることを突き止め、これを知らせる科学者としての社会的責任を果たしている。さらに、その頃、すでに、ナショナル・ギャラリーからの依頼により、油絵の表面に付着する物質を調べ、当時激しかったスモッグがその原因であることも指摘している。これも本学会の対象とする領域で、彼の環境化学者としての側面をもっと調べる必要があるような気がし始めている。

  私の言いたいことは、実は、これだけではない。

 厳格なキリスト教徒であったファラデーは、生涯で2度ほど他人のアイデアの剽窃の疑いをかけられたことである。現代のことばでいうと、今、流行の科学者の倫理のFFP1)に相当するPlagiarism(盗用)問題の犯人の疑いをかけられたのである。
 そのひとつは、1821年の電磁誘導による電流が流れている電線自体が回転運動をする装置の発明である。電磁誘導による運動については、主人であるデイヴィー卿や当時この問題の権威であったウォラストンも論文を発表していたが、電線自体が回転する装置は彼独自のものであった。失敗は彼らとの差異を明確に述べず、また、彼らに対する謝辞を述べなかったことで、その後、この二人からの非難をあびることになった。

 もうひとつの事件は、1831年のコイル内への磁石の出し入れによる交流発電の発見である。冥利にとらわれない彼は、この発見を気安くニュースとして発表してしまったために、競合する研究者たちの論文発表先取権の争いとなってしまった。
 このいずれも、彼のものであるという結論は、彼の詳細に記されていた実験ノートの内容であった。
 彼の実験ノートは、毎日の実験タイトル、目的、実験条件、測定データ、そのまとめ等々だけでなく、アイデアのメモ、調査の記録、訂正データの保持までも、実験ノートとして現在まで保存されていて、この書の執筆に当たっても、まだ知られていないファラデーの他の側面を知らせてくれる元となっている。
 現在のわれわれの実験記録はどうなっているだろうか。PCの発達のため。生データはすぐに加工され、訂正はクリックひとつで行われ、ファイル自体もたくさんのごみの中に埋まってはいないだろうか。

 論文の客観的倫理性を守るためには、ファラデーの実験ノートのような存在がいまでも大切である。
 

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